砂丘の砂シンドローム | hillbridge

砂丘の砂シンドローム

今日は、ガ島通信 の藤代さんのセミナーがあった。

2004年からブログを書きはじめた。JFL時代から日本のサッカーを知っている。新聞の内容がおもしろいと思えない。など、藤代さんといくつかの共通点もあったので、楽しく話をきくことができた。パワポのタイトルは「民主化するジャーナリズム」。

たしかにウェブとかブログとかジャーナリズムの機能を持つようになったよなぁと話を聞きながら考えていたのは、ここ数年どうして自分がブログに書く気持ちにならないでいるのかということ。書かない理由は、それこそ自己弁護的なものならいくらでも思いつくのだけど、あまり自覚的に考えたことはなかった。藤代さんが、ご自身の経験、ボトムアップのジャーナリズムの事例や可能性について語ってくださっているのを聞いているうちに、自分が「砂丘の砂シンドローム」に知らず知らずのうちにはまっているのかもしれないと思うようになった。砂丘の砂シンドロームとは、自分の書いているブログが砂丘な砂のようにとるりたらないもので、誰も読んでやしないんだという感覚に陥ってしまうことだ。

もちろん、私には今回のセミナーで一緒に話しにきていただいた五号館のつぶやき さんや藤代さんのように、たくさんの読み手にアピールするテーマ選びもできていないし、文章力もないのだけれど、自分は書くことが嫌いなわけじゃないし、新聞にでてこないような情報を伝えたい(ほとんどの場合は英語ソースの情報だけど)という気持ちもある。実際、数年前のエントリーをみてみても、それなりにコメントをもらったりして、一応ブロガーのような活動をしているようにみえる。しかし、時間がないだとか、いろいろ自分で言い訳して書かなくなっていた気がするのだ。グーグル時代のウェブでは、自分でも考えていなかったひとが自分の記事にたどりついてくれる可能性がある。そんなことは頭ではわかっているのだけれど、感覚として理解できない。だから、だんだん書いているうちにテニスの壁打ちをしているような感覚になってくる。でも、そろそろこの砂丘の砂シンドローム、あるいは大海の滴シンドロームから解放されてもいいのではないかと思うようになった。(手始めに、なかのひと でも取り入れてみよう)まあ、つまらない私のブログ自分史はどうでもいいっちゃどうでもいい。

藤代さんのお話のなかで特に印象に残っているのは「書くことをもっとみんなのものにしたい」(言い方は違ったと思う)と言っていたところだった。この思いが彼のジャーナリズム改革論やボトムアップのジャーナリズムを盛り上げていくドライブになっているのだろうと思った。大卒で新聞社に入ったからというだけで記者を名乗り、おもしろくもない記事を書いているのはおかしい。いい書き手がジャーナリズムを担うようになり、それをひとびとが期待し、かつそれぞれのレベルで書きたいこと書ける書き手(ジャーナリスト)がたくさんいるような社会。そんな理想をサッカーになぞらえて語ってくれた。つまり、W杯で戦えるような代表チームがあり、こどもから大人までそれぞれのレベルでサッカーをたのしむひとがいて、相応のトレーニングの機会とピッチが整備されている。そういうことを書くことでも実現したいということだ。Jリーグの百年構想 をジャーナリズム、あるいは「書く」という行為(スポーツ)で構想するのだ。一昔前のサッカーのことを考えれば、その気になれば、そんなに大変じゃないような気がしてくる。要は、問題の構造を理解し、適切な道筋を構想し、地道に実行していくこと。

書くことも生涯スポーツ。私も、マイナーブロガーとして、ちょっとずつトレーニングを積んでいこうと思う。

<追記>
ガ島通信さん、つぶやきさんにトラックバック(トラックバックのやりかた、これであっているのかしらん。。。もう長いことしていないから忘れているのだ。)